多岐亡羊

「ある時、一匹の羊が逃げ出しました。大勢で羊を追いかけたのですが、逃げた先の道に分かれ道が多かったため迷ってしまい、結局捕まえることができませんでした」

‥この話を聞いた揚朱という人物は、学問もまた同じことであると悲しんだ‥
という故事からうまれた言葉が多岐亡羊。

『真理(羊)を追いかけても、色々な迷い(分かれ道)があるために到達することが難しい』

「仏教は、教えが多すぎて難しいことが弱点」と話された先生がいらっしゃいました。
お釈迦様は個人個人に適した救いの方法(方便)を説かれました。
その数は八万四千(要するにとてつもない量の喩え)とされます。
こうしたたくさんの教えがあるが故に、いくつも宗派や派閥、また仏教系の新興宗教なるものが起こりました。

日蓮聖人のことばに
「魚の子は多けれども、魚となるは少し。菴羅樹(あんらじゅ)の花は多く咲けども、果実となるは少なし。人もまたかくの如し、菩提心を起こす者は多けれども、退せずして仏と成るは少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり」とあります。

仏教を信じて精進するものでも、悪縁によってすぐに心変わりをしてしまいます。
迷い多くてはいつまでも真理に到達ができません。
「多岐亡羊」にならないように一心にお題目をお唱えすることが肝心です。